SAVILE ROW 〜 Weblog

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ブログ再開
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    2016年

    ブログで始めようと思います。

    昨年の7月以降、色々な思いがあり書くことをためらいましたが、区切りのいい時にまた始めてみようと思います。

    実家から見える富士山が綺麗です。


    | 播州男 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    やり直し!
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      一ヶ月以上空けたかな。。

      2015年、年明けから色々あり過ぎた。

      息子の胸痛から病院で診察、心電図から左心室肥大の疑いありとの事で総合病院で再検査。

      ホルター心電図という胸部に検査機器を取り付け24時間測ったり、トレッドミル検査をしたりで、、、

      場所が場所だけに検査結果も時間がかかる。

      結果的に異常は見つからないものの、チームドクターから許可が下りない。

      その間、3〜4ヶ月。

      ボールを蹴るようになったのが桜も散った頃。。

      長すぎた。。

      今年になって初めてピッチに立ったのが、昨日のトップチームとのトレーニングマッチだったわけで〜。

      へろへろな中で自分の現在地を改めて確認できたことだろう。


      這い上がってくれる事を祈るしかあるまい。

      強い意志を持って挑んでもらいたい。


      自分も2月に受けた大腸内視鏡検査で大きな腫瘍が見つかり、3月にはがん検有明病院で入院。。無事腫瘍をとってもらった。

      退院したのも束の間、変わるように嫁が眼の角膜が破れ東京医科大病院に入院した。

      絶対安静の中、病院の往復と子供達の世話や食事と当たり前の日常に振り回され、おふくろが来てくれて助かった。


      先日退院し、昨日から仕事にも復帰。


      娘が2月に骨折していたのだか、こちらも完治した。


      ようやく負のサイクルから抜け出せた気分です。。


      あまりに短期間に色々ありすぎて、、


      すっかり痩せてしまいました。


      12キロも体重が落ちた事が唯一の光明か。。



      しかし、、



      疲れてる。






      | 播州男 | 08:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      武器
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        サッカー選手の武器としてわかりやすいのが、スピード、身長、左利き。

        この3つが揃っていればまず目立つ。
        もちろん前提としてサッカーが上手い中で。

        逆に同じようにサッカーが上手くてもスピードは普通、身長も突出せず、右利きであるとライバルも多く抜けでてくるには違う武器がいる。

        色んな選手を、それこそチームで目立っている選手を何人もみてきたが、何れ突出したものがある。

        クラブで節目毎に育成方針などの説明会などがあるとよく言われるのが4つ。

        1.技術
        2.戦術
        3.フィジカル
        4.メンタル

        各々輪が重なり合い選手の特徴が浮かび上がる。技術は当然あるだろう、その中で突出したものとなればスピード、ドリブル、読みとセンス等。

        戦術理解力がなければ監督からは使ってもらえない。先を読み、俯瞰的に見渡す事が出来る能力。試合展開においては何れかのポジションも複数こなせる能力。

        フィジカルでは生まれ持った身長高さ。体の柔らかさや上半身、下半身の使い方、そしてぶれない体幹と落ちない持久力。

        メンタルが弱いとそもそもプレーに波がでて信頼出来ない。メンタルはいきなり育つものではない。性格にも相応に起因するところもある。

        トップ昇格する選手の多くはこの輪を広くる有していると思う。いわばかなり突出している。これだけのものを有しているのだから。

        スピードでガンガンぬきさりドリブルで仕掛けても戦術理解力がないと自分勝手な選手になる。高さがあってヘディングが強くてもメンタルが弱かったり、なかなか全てを兼ね備えるのは難しく、そこの特徴を把握して何処を伸ばせばその選手にとっていいのか、長い年月をかけて修正しながら育成していく。

        ユースの舞台ではその集大成が如実に現れてくる。それは16歳で現れるのか、18歳でいきなり現れるのかはわからないが、突然変異はない。
        | 播州男 | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        東京観光
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          毎日都内まで通ってて、東京観光も何もないんだけど、何となく行き当たりばったりで行こうか!ということで。

          娘がスキー教室で会津ま出かけてるので、息子の嫁の3人で。

          まずは、昼過ぎに東京駅に到着。


          腹減ったっ〜という事でしたが、まずはグランスタのはせがわ酒店に向かう。

          最近の日本酒ブームもあってか、いつ行っても店内はたくさんの人です。

          その中で昨日各地取扱店でも店頭に並び始めた福島県のあぶくま純米吟醸無濾過生原酒を購入した。


          昨年飲んだ時もそうだったが楽しみな生酒です。

          そのまま、3人で丸ノ内にあるインディアンカレーで昼食。

          ルー大盛りタマゴでしたが、息子はさらにライス大盛りを追加してました〜。

          汗をかきながら食べ終えて有楽町方面に向かうと駅前のビル中は物産館みたいになっており、ここでも蓬莱の豚まんを頬張る息子…。


          嫁と二人であきれるばかり。。

          その後銀座方面に向かい、秋田、沖縄、高知、岩手、広島、福井とアンテナショップをほっつき歩きましたーー。


          手元にあるバックが小物の物産物で重くなってくる中…。

          茨城のアンテナショップではなんとアンコウの吊るし作業の実演をやっており見学してました。。!!

          かなりグロテスクでしたがら手際良く包丁が切れるのには驚きました。。その後、いっぱい100円でアンコウ鍋の試食が始まり、、これまた食べ尽くしました。

          するとすぐ前に長蛇の列発見!

          キルフェボンのイチゴタルトを買うためにこれまた並びに参戦!


          40分ぐらい並んで買ったのはタルト3ピース、ちなみに丸々ひとつ買うと1万近くするのもあるので、なかなか手がでませんわ!!

          大概食ったのでタルトは持ち帰りとしてそのまま地下鉄経由で帰宅。

          駅でソースかつを買った。。


          そして食いました。。



          かなり太った感。。


          なかなかハードな1日でした〜。





          | 播州男 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          上田市に
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            仕事で上田市に行ってきました。

            駅ではさすがの真田六文銭が迎えてくれます。




            駅からほど近い岡崎酒造まで徒歩15分程でしょか。。上田城近くで1600年代に創業した歴史ある蔵元です。

            お店を併設されており、亀齢が各種類冷蔵庫にありました。
            試飲もさせてくれます。

            新酒が多いこの時期、純米吟醸山田、純米ひとごごちなどは、おりがらみもありましたが、地元酒でもある本醸造を買ってみた。



            来年の大河ドラマ、真田丸の舞台でもある上田市はまだまだ盛り上がりにかける感じですが、18年前に長野支店に勤めていた頃この町にもよくきたものです。

            ほとんど城下近くの駐車場で居眠りしてましたが。。。


            | 播州男 | 08:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            大豊さん
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              大豊さんの一報を、ネットで知ってなんともさみしいものです。

              白血病と闘う姿をテレビでも見たりはしましたが、本当に残念です。


              中日の大豊、阪神の大豊としてのイメージもあります。名古屋に行く機会があり、その時友人が連れってくれたのが、大豊さんが経営する大豊飯店でした。

              その時のブログも8年前に書いてます。

              いちばん印象に残ってるのは現役時代に16億稼いでもこうやってお店を出さないと食っていけないんだよ。。という我々からすると信じがたい話しですが、プロはそういう選手が多いんだと。

              その後も名古屋に行く度にお店に行ってはよく話をしました。




              ご冥福をお祈り致します。
              | 播州男 | 08:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              10年目
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                このブログも10年目を迎えました。


                よくぞ続いたものだ。


                本年もよろしく。


                連休は東京ドームで開催されている、ふるさと祭りに出かけた。

                というか、どんぶり選手権で食い倒れてやろうと明日から練習はじめの息子を誘い出かけた。

                凄い人で混雑してましたが、とにかく食った、食った!

                北海道札幌の久兵衛の三色丼!
                ホタテ、鮭、イクラで溢れそうでした。激ウマ 1,200円




                八戸鯖トロ丼
                サバってこんな美味いんかっ!
                と鯖好きがさらに好きになった!
                500円



                近江三大肉丼
                近江豚、近江牛、近江黒鶏!
                肉の三種盛り、顎が落ちた〜。
                500円

                後は地酒バーで飲む飲む!
                1杯300円
                紀土 大吟醸
                川鶴 オオセト55特別純米
                月山 純米大吟醸
                楯野川純米大吟醸 清流




                とにかく、美味いぜ!

                土産はイカめし!
                故高倉健主演の映画、あなたへの中で出て来る草薙が働いているイカめしでした。
                | 播州男 | 20:45 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                健さん
                0
                  高倉健さんが亡くなられた。
                  すごく残念なニュースでした。


                  我が家の玄関に飾られた1枚の色紙。

                  これは高倉健さんの直筆サインで、結婚前に嫁宛にくれたもの。

                  当時嫁は神楽坂にある小さな個人医院で医療事務の仕事に携わっていた。

                  院長と息子だけの小さな医院ではあったので事務以外にもあれやこれやとこなさなければならない。

                  予約の応対もそのひとつ。

                  『小田です…(高倉健さんの本名)予約を取りたいのですが、、』

                  と、いつも必ずご本人から連絡があったそうです。 神楽坂界隈では古い病院だったらしく、歌舞伎役者などもよく来院されていたようですが、たいていはマネジャーさんから連絡があるそうです。



                  ある時、急患でバタバタしており、健さんの予約時間もかなり過ぎており、いつも裏口から来られるのにと、裏口に廻ってみるとそこに健さんがじっと立ったまま待っていたそうです。

                  どうぞ、どうぞと、話しかけると急患で大変な時ですからと、じっと裏口で1時間近く何も言わずに待っていらっしゃったそうで、その後院長に診てもらい帰られる時、嫁に深々と頭を下げて帰られたそうです。

                  すごい律儀な方で耳の大きい人だった。
                  が、嫁の高倉健さんの印象でした。

                  結婚が決まり嫁が退職する時、来院された健さんに医院長が頼んで大切なものを貰いました。

                  我が家にとっては高倉健という大スターとほんの少し関わりが持てた嫁が羨ましくもあります。

                  泣いていた嫁と健さんの色紙をみながら一杯いきました。

                  高倉健みたいになりたいと、、

                  普段は子供達に寡黙で大きな父親像を見せたいと常々思っておりますが、いかんせん酒が入ると嫁や子供達に言われます…


                  志村けん


                  自分、、出直します。。

                  | 播州男 | 06:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  その後
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                    叔父が亡くなり長く短い3日間が過ぎた。

                    田舎町で生まれ育ったので土地土地の慣例がある。今回はいろんな事を感じ、またビックリした事が起きた。

                    午前中には叔父の家に到着。
                    布団の中で横たわる姿は、まるで寝ていて今にも起きだしそうなぐらいです。

                    30年前の出来事を思い出しながら色々語りかけたら、返答が返ってるみたいで、涙がポロポロと落ちたけど、日頃から誰の世話にもならずにコロッと逝きたいんや…と、話していた通りだった。

                    昼頃から自宅にはたくさんの方が弔問に訪れ枕元で言葉をかけられる。

                    全く盆と正月が一緒にきたみたいに、遊びまわる叔父の孫達を私の膝の上に座らせて、皆さんが語る話しを聞きながら人徳だなーと感じていました。

                    その横で喪主である息子と地元の葬儀屋が来てお通夜と告別式の段取り打ち合わせ、まもなくお寺のご住職が来られて亡き叔父の枕元では色んな準備が進んでいく。。


                    夕方には納棺の時間となり、自宅には親族がみんな揃う中、納棺の準備が始まりる。

                    叔父の胸元で硬く合わさった手を両手で包み込むように丁寧に時間をかけてさする。

                    合わさった手をゆっくりと離すと、叔父の片手に自分の手を重ね合わせ、前後左右に関節を曲げながらまたほぐしていく。

                    ほぐし終えた両手を胸元に戻し、白装束を広げ袖口に腕を通す。肩を持ち上げ硬直した体を丁寧に動かしながら、肩から首下とゆっくりと着させていくんです。

                    叔父の体は旅立ちの準備が整い、その間ほんとに静寂の中に凛とした時間が流れて行く。

                    さっきまで遊び回っていた孫達もその儀式を黙ってみつめたままです。。

                    手足に手甲と脚絆の紐を孫達が集まり、それぞれ結び終えると、自分含む数人で叔父を棺桶に納め、そして最後に家族達で六文銭を首にかけ、杖、草鞋、笠を入れ数珠を合わせた両手にしっかりと掛けて旅立ちの準備が整う。

                    この一連の流れは映画“おくりびと”そのものだった。

                    葬儀はお通夜、翌日の告別式と滞りなく終えあっという間に時間が過ぎていく。

                    告別式を終えると親族がバスに乗り火葬場に向かう。

                    前日が友引ということもあり、火葬場には次々と人が出入りし、この一両日中にもたくさんの方が亡くなられたようだ。

                    2時間近く経った頃、館内放送があり親族達が収骨室に集まる。

                    扉が閉まり、収骨前の説明を親族が静粛に聞いているその時、、、

                    まさに突然、、、

                    私の真横にいた叔父さんがその場で意識を失い、まるでマネキンが前に倒れるように直立不動のまま倒れた。。

                    その瞬間の動揺具合は半端なかった。

                    収骨室に物凄い何かを叩きつける音が響く中、突然状況にパニックになり、その場にいた子供達も泣き出すわ、過過呼吸を起こすわで大変な事態になった。

                    自分も只々ビックリしてその場では何も出来なかった。

                    私の従兄弟の嫁さんが看護師をしていた事もあり、その場で応急処置、救急車への連絡ともうわけがわからん。。

                    まもなく救急車が到着。
                    収骨室に救急隊員がガサガサと入ってきて意識確認しながら担架で運びだされた…。

                    もう、放心状態。…


                    その後はもう動揺したまま、無事だったのだろうかとか、こんな事あり得るのか?とか、もう頭中は混乱したまま終えた。



                    叔父さんもビックリしたやろなーと心の中で語りかけながら何とか帰路に着きました。



                    そして、また何時もと同じ日々が始まる。


                    いつ、どうなるかわからないなーと、そんな事を最近よく考えるようになりました。


                    そして、

                    またひとつ歳を増やした私です。



                    | 播州男 | 08:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    恩人
                    0
                      午前0時近く電話がなった。

                      普段は携帯が鳴るのが殆どだがら、こんな時間に家の電話が鳴ると嫌な予感。

                      出るとおふくろからの電話…。

                      予感は的中した。


                      叔父さんが亡くなった。
                      昨夕、自宅で倒れているのを家族が発見したとの事。もともと叔母さんと二人暮らしで子供達はみんな結婚し、孫も5人生まれ幸せな叔父さんだった。


                      自分にとって叔父さんでもり、自分を育ててくれた親父でもある。

                      今から30年前の事。
                      高校生になったばかりの私の身の回りが一変する事態となった。

                      当時、私の実家は地元で会社をやっており、自分もボンボンで育った。
                      しかし、大人の事情はよくわからなかったが、突然自宅が抵当に取られ全てが無くなった。

                      春に高校に通い始めた自分にとってはもちろん高校もその時点でドロップアウト。


                      三文字で言えば、「よにげ」ってやつですね。


                      とにかく遠い知らない街で隠れるように暮らしていたんだけど、流石に半年近くなると高校生の自分には現実が受け入れられなくなる。

                      この先俺どうなるん?
                      そんな事が頭によぎると責めるのは親ばかり。何で俺がこんな目に遭わんといかんのや!と当たり散らしてばかりの日々でした。


                      高校だけは卒業しないとという、もちろん親としての思いもあったんでしょうが、借金の返済は親族も巻き込んでいる中、お前さえいいなら戻ってこいと自分に声をかけてくれたのが、叔父さん夫婦でした。


                      小さな田舎町ですから、自宅が抵当にとられ一家が翌朝消えれば町では事件みたいなもんです。

                      叔父さんは隣町に住んでいたのですが、
                      大人の起こした事や。お前ら子供には何の責任もない、悪いわけやない、恥じる事も何もない、高校だけは出ないかんと、そう言って高校生になったばかりの自分を三年間自宅に居候させて卒業まで面倒をみてもらった。



                      高校に戻ったとはいえ、半年近くドロップアウトしていたため、授業も何もわからない。

                      叔父さん家には小学生の兄弟が二人いたので、下の娘の部屋を当てがってもらった。机や通うための自転車も中古で見つけてくれて与えてくれた。

                      まだ16歳の自分にはそんな有難さより、何で俺がこんな思いしてまで…という気持ちが心の中にあり、高校に通いながらも横道それるには全て揃っていた。


                      半ばどうでもいいやと喧嘩ばかりに明け暮れ、相手に怪我をさせてしまった。

                      学校から下されたのは無期停学処分。

                      半年の遅れを取り戻せる日々もなく、また学校から遠ざかる事になってしまった。

                      体育教官室に連れていかれ、先生に殴られ、その場で髪の毛をバリカンでバッサリ剃られてしまった。。

                      夜も遅かったと思う。
                      呆然としている校長室に戻るとそこに叔父さんが駆けつけてくれていた。

                      あほたれ!!

                      と思い切り殴られ、自分もその場で泣きじゃくった。


                      あれから30年が過ぎた。


                      当日30代だった叔父さんはたまに私が帰ると好きなビールを飲みながらこう話す。

                      「俺が入院でもしてな、お前が病院に駆けつけてくれる時は、俺がもうあかん時やな。」

                      便りがないことはえー事やから、頑張れと。いつも話してくれた叔父さんだった。


                      ほんまにありがとう。





                      最後に話した事は当たり前過ぎて何にも覚えてない。

                      せやけど、

                      30年前殴られた痛みはよう忘れんし、今の自分があるのも叔父さん夫婦のおかげです。


                      今から帰る。


                      まっててや。

                      | 播州男 | 07:03 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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